本展が開催されるお台場地区は、東京湾に面した埋め立て地に造成された街です。そのメインの会場の一つである台場公園も、元はといえば幕末に砲台として築かれた人工の島でしたが、海に向けて並んでいた大砲はすべて撤去されており、今は砲台や陣屋の跡などが点々と灌木や草地の中に散在しているだけです。しかし遺跡のような野趣に満ちたその光景は、歴史の陰影なき市街に隣接していることで、かえって都市における芸術祭の新たな可能性を呼び覚ますシンボルたりえているともいえるでしょう。
さて「泰平の眠りをさます上喜撰
―野生とカオスと新世界-」という第一回展のテーマは、幕末にペリー提督が率いる黒船が浦賀に来航し、開国を迫った時に詠まれた狂歌(註)の言葉を借りたものです。この歌は「蒸気船」(黒船)を「上喜撰」(眠気を覚ます高級茶)と書き換えてみせるという、社会の慌て振りを揶揄した卓抜なジョークで知られてきました。まさにお台場はその黒船に対抗すべく大急ぎで築かれた砲台の島だったのですが、実際には一発の砲弾も撃つことなく鎖国政策を解くことになりました。戦いの砦となるはずであったお台場は、期せずして平和裏の開国の記念碑として遺されることになったということもできるでしょう。
もっともこの国際美術展はそうした歴史自体をテーマに据えているわけではありません。都市は人を自由にするといわれていますが、野趣のある遺跡と計画的に整備された街並みが共存するお台場地区には、新たな世界を切り開く潜在的なエネルギーが、あえていうならばカオスをも受け入れる野性的なヴァイタリティが潜んでいるのではないでしょうか。私たちは先端的なアートの力によって、そうした非日常的な魅力に満ちた景観をこの街にもたらすことを目ざしているのです。
周知のようにいま世界には、民族的、宗教的、文化的な他者に対する不寛容な思想が渦巻いています。1989 年の冷戦構造の崩壊によって大きな物語が終わり、小さな物語の戯れの時代が到来したといわれました。それはイデオロギーがもたらす対立のない平和の到来を告げるはずでしたが、しかし現実に起きたことはパンドラの箱の蓋が開いたかのように、世界中に地域紛争が勃発し、テロが蔓延するというおぞましい事態であって、それはますます拡大しつつあります。
このような排他的な思想に対して、アートは抑止力になりうるのでしょうか。はたして大規模な国際展は相互理解と文化的な他者との共存に寄与しうるのでしょうか。また環境問題や貧富の格差、性差別なども深刻さを増していますが、こうしたことの解決にアートは力があるのでしょうか。
決して楽観するわけにはいきませんが、アートとは私たちにとって批評的なメッセージであると同時に喜びをもたらすものであり癒しでもあります。それに触れることは、困難で複雑な課題を共にして生きるレジリエンス(回復力)を身に付けることにもなるでしょう。いかにささやかではあれ、「東京お台場トリエンナーレ
2025」が、アートの力によって世界を救済する融和のための砦であることを願わずにはいられません。
註 瓦版などで流布した読み人知らずの狂歌。全文は『泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四盃で夜も寝られず』